東京高等裁判所 昭和39年(ネ)3037号 判決 1966年6月30日
控訴人 荒川信用金庫
控訴人 金子吉弘
被控訴人 藤井作造
主文
本件控訴をいずれも棄却する。
控訴費用は、控訴人らの負担とする。
事実
<省略>
第一、被控訴代理人の陳述一、被控訴人は昭和三十七年三月十八日訴外沢俊男の持参した控訴人荒川信用金庫所定の代物弁済予約契約証書の金額欄に金十七万円と記入し、署名押印をしたが、右は何ら被控訴人が真実金十七万円の弁済に代えて本件建物の所有権移転を約したものではない。即ち、
(一) 被控訴人は、訴外内外建機工業株式会社が控訴人金庫から借入れる債務額が金十七万円程度であれば万一の場合には自らその返済資金を調達して本件建物を保全し得るので右金額の限度で抵当権の設定に同意したにすぎない。
(二) <省略>
(三) 而して控訴人金庫の主張によっても本件建物は金三百万円以上の価値を有するものであるから、被控訴人が金十七万円の弁済に代えて金三百万円以上の価値のある本件建物の所有権を譲渡することを約したものでないことは、当然控訴人らの知りまたは知り得べかりしものである。従って本件代物弁済予約はその効力を生じない。
二、仮りに右債務金十七万円について金三百万円以上の価値を有する本件建物による代物弁済契約が成立したとしても、このように債権額と代物弁済の目的物の価値との差が著しい契約は、明らかに暴利行為であり、公序良俗に反するものであるから無効である。
三、被控訴人は訴外沢俊男に対しては何らの代理権をも与えていない。即ち、
(一) 被控訴人は本件各契約書(乙第一ないし第三号証)の金額欄に金額を記載し、末尾署名欄に署名押印したのであるから、被控訴人が金十七万円の限度で物上保証をする旨の意思表示は右各書面特に乙第三号証の代物弁済予約契約証書において完成されているのであって、さらに代理人による意思表示は全く必要がなかったのである。
(二) 乙第一号証の約定書の金額欄の記載をするにあたりその金額を誤記したことは原判決の指摘するとおりであるが、被控訴人は右金額の訂正を沢俊男に一任したことはない。即ち、被控訴人はその職務上の経験から金額欄の訂正はその書面を無効にするものと確信していたのであり、若しどうしても必要があれば、あらためて別の書面の差入れを求められるものと思って、沢俊男のすすめに従って金額欄の訂正をしなかったのである。従って右事実は何ら沢俊男に対する代理権の付与を裏付けるものではない。
(三) <省略>
四、(一) 乙第一ないし第三号証の各契約書の金額欄には明らかに異状がある。乙第一、二号証の金額欄はインクのしみを生ずる状態であり、特に乙第三号証は文字をナイフ等で削り取り、インク消しなどの液体で文字を消した痕跡が歴然としているのであって、金融機関の職員が職務上通常の注意をすれば容易にこれに気付く筈である。
(二) 控訴人金庫においては通常貸付事務の取扱いに当り第三者の担保提供に際しては直接右担保提供者に問合せをすることになっているにもかかわらず、前記のように契約書の金額欄に異状さえ認められる本件契約に限って、被控訴人に対する一片の照会確認をもしなかったことは、重大な適失があるというべきである。
(三) 従って控訴人金庫は沢俊男に被控訴人を代理する権限があると信ずべき正当の理由がないものというべきである。
五、<省略>。
第二、控訴人荒川信用金庫代理人の陳述
一、被控訴人は、訴外沢俊男に対して、債権元本極度額未定のままその極度額の決定権をも含めて、本件建物に対する根抵当権設定並びに代物弁済予約締結に関する一切の代理権を与えたものである。即ち、被控訴人は本件契約書の金額欄に一たん「十七万円」と記入したのち、訴外片山弥門に対して右金額欄の抹消に同意し、同人は被控訴人の同意を得て右金額欄を抹消したことおよび当時未だ控訴人金庫からの借入金額が未定であったことなどの事情もあって、被控訴人は右金額欄白地の契約書を片山弥門を通じて沢俊男に交付する際、本件債権元本極度額の決定権をも同人に授与したものである。
二、仮りに、前記沢俊男において、被控訴人を代理して、債権元本極度額を金三百万円とする契約を締結する権限がないとしても控訴人金庫は右沢俊男にその代理権があったものと信ずべき正当の理由がある。即ち
(一) 控訴人金庫と主債務者たる内外建機工業株式会社との間には債権元本極度額を金三百万円とする融資契約が有効に成立している。
(二) 前記沢俊男は多額の出費をして被控訴人の居住する舞鶴市に出向いている。
(三) 被控訴人は契約条項を記載した契約用紙に署名押印し、その内容を十分承知していた。
(四) 被控訴人は根抵当権設定登記および代物弁済予約の仮登記に必要な書類一切を沢俊男に交付している。
(五) 手形による継続的金融取引にあたり、債権元本極度額を金十七万円とし、しかもこれについて本件建物を代物弁済とする契約は異常である。
これらの事実からみても、控訴人金庫が沢俊男に代理権があると信じたのは当然である。本件契約書の金額欄に現在若干の変色が見られるとしても、それは日時の経過によって生じたものであり、本件契約当時は変色はなかったし、また「ケバ立ち」やインクのしみ等も鑑定用の特殊光線の下で拡大検査されて始めて発見できるものであり、肉眼の下では「ケバ立ち」は軽度であるから、控訴人金庫の係員が当時これらの事実を看過したとしても、これをもって正当理由を否定すべき根拠とはならない。
三、さらに控訴人の前記主張が理由がないとしても、被控訴人が金十七万円を限度として根抵当権設定および代物弁済予約を承諾したことは、被控訴人の自認するところであり、被控訴人が本件債務を弁済した事実がないことも明白であるから、結局本件代物弁済が適法有効である筋合である。<省略>。
第三、控訴人金子吉弘の陳述<以下省略>。
理由
当裁判所もまた被控訴人の本訴請求を正当として認容し、控訴人金子吉弘の反訴請求を失当として棄却すべきものと認めるものであって、その理由は、以下に附加するほか、すべて原判決理由の説示するとおりであるから、これを引用する即ち、
(一) 原審並びに当審証人片山弥門の証言と原審における被控訴本人の尋問の結果によれば、被控訴人は債権元本極度額を金十七万円として原判決末尾添付物件目録記載の本件建物(床面積七一・九〇〇七m2)に根抵当権を設定し、且、右根抵当債務の支払を怠ったときは代物弁済として本件建物の所有権を移転する旨の代物弁済の予約を締結するため乙第一ないし第三号証の各書面の金額欄に金十七万円(または誤って金十万七千円)と記入しながら、自ら右金額欄の記載部分を抹消して白地とし、あるいはこれに他の金額を記載することをしなかったのであるから、たとい控訴人荒川信用金庫において(1)主債務者内外建機工業株式会社との間に債権元本極度額を金三百万円とする融資契約が成立し、(2)沢俊男が多額の出費をして被控訴人の居住する舞鶴市に出向いたことを知り、(3)被控訴人において本件契約書類の記載条項を知悉して、(4)本件建物に対する根抵当権設定登記並びに代物弁済予約の仮登記に必要な書類を作成交付したものであり、さらに(5)手形による金融取引につき債権元本極度額を僅か金十七万円とし、しかもこれについて本件建物による代物弁済予約をすることは異常であるとしても、被控訴人が沢俊男に対し、本件建物につき債権元本極度額を金三百万円とする根抵当権設定並びに代物弁済予約を締結する代理権を授与したものとは到底認められないし、たとい控訴人金庫において沢俊男にそのような代理権があると信じたとしても、原判決理由の説示するとおり、控訴人金庫が本件契約書類の交付を受けた当時、その金額欄の白地部分には、そこに一たん記載された文字が何らかの方法で抹消されたのではないかと疑わしめるに足りる異状があった(特に乙第三号証の代物弁済予約契約証書の金額欄の書込部分を見ると、そこにはかなりの変色があり、しかも一度書いた文字を消したらしい形跡が肉眼でも歴然と看取できる。証人藤本源一は、原審において、乙第一ないし第二号証の書類を受取った当時、これらの書類の金額欄は白地のままであり、別に不審に感ずるものはなく、現在これを見ると変色部分があるようですが、当時は気付きませんでしたと証言し、また当審においても、右各書類を取扱った時には金額欄がこのように色が変っていず、インク消しで消したあとは気付きませんでしたと証言しているのであるが、当審証人沢俊男の証言によっても、前記各書類の金額欄の金額が消された個所は紙が少しくぼんでいたような気がしたというのであるから、これと原審鑑定人荒井昭夫の鑑定の結果とを併せ考えるときは、前記証人藤本源一の証言部分はたやすく採用し難く、他に当時前記各書類の金額欄の白地部分には何らの異状がなかったものとは認め難い。)のであるから、控訴人金庫としてはかかる異常な状態に疑念を抱き、ひいてはこのような書類を提出した沢俊男(同人が右各書類を提出したことは原審並びに当審証人藤本源一の証言によりこれを認めることができる。)の代理権限に疑問を感ずるのが通常であると考えられる。しかるに本件におけるすべての証拠によっても、控訴人金庫が少くとも右金額欄の白地部分の状態について、該書類の作成者たる被控訴人に問合せるなどの方法により、その調査をしたものと認められないから、控訴人金庫としては、不用意にも沢俊男の代理権の範囲を軽信したというそしりを受けても仕方がないというべきである。従って控訴人金庫は本件金三百万円の融資に関して根抵当権設定並びに代物弁済予約を締結することについて沢俊男が被控訴人を代理する権限があると信ずるにつき正当の理由を欠くものといわなければならない。
(二) 而して本件契約証書の金額欄における当初の記載たる金十七万円の文字が被控訴人の意思によらずして抹消され、しかも第三者によって擅に金三百万円と記載されたこと原判決理由の説示するとおりである以上、被控訴人としては、極度額を金三百万円とする貸借取引について責任を負担すべき根拠のないことは勿論であるのみならず、金十七万円の限度においても、適法な根抵当権設定並びに代物弁済予約に関する契約が成立したものとはいえないから、その責任がないものというべきである。<以下省略>。